↑ 1987年に築城基地で撮影いたライトグレー迷彩のF-1/80-8219。下の写真では左側面しかわからないので、イラストで右側面を作製してみた。国籍マークは、胴体後部に移動しており、機首付近には注意書き以外のものは迷彩効果を出すために消されている。
↑ このような迷彩を試行を行った背景には、恐らくF-1に課せられた対艦攻撃任務に大いに関係があると考えられる。ベトナム迷彩を模したF-1オリジナル迷彩で、一番明るい”タン色”は、洋上低空飛行で一番目立つ色である。其の為、タンの部分を暗い海面の色でカバーしたのがこの塗装と言うわけだ。206号機と215号機が1989年の秋にみる事が出来た。
↑ 飛行を終えてエプロンに戻るF-1戦闘機、ここのタキシーウェイは、手前から見て多少下り坂となっている。
↑ この機体は、1987年の築城航空祭の閉幕間際に基地内で見かけた特別迷彩機である。夕日を浴びている上に白黒写真の為、迷彩色の説明が難しいが、当時の記憶ではオリーブドラブ系の2色迷彩となっていたような気がした。しかし、後に航空専門誌に掲載された同機の迷彩は完全なるグレー系の2色迷彩だった(上のイラストで再現)。国籍マークは小型化されているが、カラーのまま、インシグニアは線書、機番は機首に小さく”14”とあった。214号機(80-8214)である。
6th Squadron
Pege-5
F-1の各飛行隊がACMに参加するようになってから、支援戦闘での射撃や投弾等の競技だけでなく、次第に異機種戦闘のアシスト役なども熟すなど多方面での活躍が期待されるようになってきた。そこで、既に纏っている迷彩の効果を更に高めていけないかと言う研究が盛んに行われるようになった。米軍の3軍(空軍、海軍航空隊、海兵隊)でも低視認性の研究がすすめられ、所謂ロービジ塗装が主流となりつつあった時期である。1986年頃から、F-1各飛行隊でもこうした研究が始められ、F-1の実機に様々な迷彩パターンや国籍マークなどの小型化など工夫をした特別塗装が見られるようになった。このページでは、1987年から1989年に掛けて、第6飛行隊で見られたロービジ迷彩などを通常塗装の機体と共にご紹介したい。
↑ 1987年築城を訪れて、最も驚いたのがこのグレ―迷彩だった。濃淡2色の迷彩は意外にF-1にボディにマッチングし、結構精悍に見えた。判りにくいがジェットインテークに”19”と機番が書かれており、219号機である事が判る。また6Sqのインシグニアは、薄いグレーで線書きされている。但し国籍マークや注意書等は、原色のままである。
↑ ライトグレー迷彩と同時時機にF-1/80-8214に施されていたダークグレー系の迷彩塗装、恐らく海面すれすれでの低空飛行を想定した迷彩だったのではないかと思われるが、ライトグレー迷彩機219号機と異なるのは、シリアルを尾翼に書き込んでいる所と、機首のモデックスがコクピット下に書かれている所である。
↑ こちらは、迷彩そのものに大きな変更は無く、機首の国籍マークを主翼の付け根後方に移動させ、尾翼で目立つ黄色のインシグニアは消され、替りにジェットインテーク脇に薄いグレーで書かれている。
↓ さてその2年後の1989年再び築城を訪問してみた所、この年も2種類の異なった迷彩塗装機を見る事が出来た。この日は、山側から風が吹き下ろす冬の典型的な風向きで、離陸する機体は、私の陣取った堤防方向へタキシングしてくるのである。
↑ そしてもう一種類の迷彩が、オリジナル塗装から全く違うブルーグレー2色の迷彩機。より 低空での洋上任務を意識して施行されたものであろうと想像される。ソ連艦隊のレーダーを暗視網を掻い潜って、できるだけ低空で艦隊に近づく上で、上空から敵の護衛戦闘機に発見されずらい迷彩は必要なのである。こうした研究の成果が後のF-2等の迷彩に活かされたはずである。
HOME
NEXT
click here
↑ 1989年の築城基地航空祭に展示された215号機。タン色の部分の注意書はマスキングされて、そのまま読めるようにしてある。